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雪とのかかわり
雪は、良くも悪くも遠い昔の「雪国の里」の思い出と、ともによみがえる。
勤労感謝の日(11月23日)に、決まったように夕方日暮れより早く
辺りが急に暗くなり、雷鳴と稲妻があたりを騒がしくして
大粒のひょうや、あられが物音が聞き取れない位に、叩きつける状態で
降ってくるのである。詰まりこれが「根雪」となるのであった。
これより、翌春3月末日まで「地面の土肌」は、見られないのである。
それ故に翌春の「雪解け」の、嬉しさはひとしおであった。
音も無く深深と降り積もる雪、外出すらはばかられる「猛吹雪」など
雪国の冬は、ある歌謡曲の「歌詞の中に」七種類の雪が降るとあるように
自然の気象状況によって、想像をはるかに超えた驚きがある。
幼い頃の「猛吹雪」の時は、このまま命が無くなるかも知れないと
恐ろしくなった記憶は、一度や二度ではなかった。
かと思えば、照り映える積雪のまぶしさの中で、大いにはしゃぎまわり
汗ばんだ顔に、両手ですくって食べた雪の味は、今では出来ないようになった
懐かしい思い出の、一つとなっている。
雪国の雪は、スキーやそり遊び・雪だま合戦など「閉ざされた冬の」数少ない
遊びとなっていたものである。
春先の「雪解け水」や夏にかけての「湧き水・・・清水」など
長い間閉ざされて我慢した「代償のように」、恩恵をうけたものである。
この雪は、人間のみならず自然界の草木も「雪解け」を待つ、待たされる
事に関しては、変わりないものと思っている。
また「耐える・我慢をする」この事が、しなやかさを作り出していると
思いを抱きながら、ずうっと暮らして来たと思っている。
雨を想う
音も無く降る、春の雨・いつの間にか「新緑の葉が」、舗装道路の色が黒ずんでいるを見て
「おや!雨かナ」と、気付かされる。
空を仰ぐと、ホントにこまかーい雨が落ちて来ている。
詩人ではないが、音も無く降る「春の雨」は
家々の屋根や、新緑の木々・道路の土を、程よくぬらしている。
そして、花曇の空にふさわしく、何となく「心が落ち着く」ようである。
「五月雨」「梅雨」「長雨」「豪雨」など等、表現はそれぞれと
うっとうしく「気のめいるもの」から、田を流し橋を流し家を流してしまうまで
悲喜コモゴモも、また同じ「雨」である。
「夕立」「秋雨」「時雨」「氷雨」など等、まさに「人生のひだ」を
思わせられるようで、ならない気がするのである。
水辺によせて
水は太陽や空気と同じように、日頃何気無しに使っているので
その恩恵について、深く考えるような事はあまり無い。
水は、生きとせ生きるものにとって無くてはならぬものである。
人体の三分の二は、水分であると言われ
水が無ければ、「生命を維持する」事は出来ない。
また、物が洗えない・あらゆる植物が枯死・消火作業が出来ない
水の恩恵に浴しているのに、この「事実」も当たり前で終始してしまっている。
大都会の「不自由の少ない生活」も、上下水道が完備している所によることが
案外と、忘れられていると思う。
のど元過ぎれば何とやら、「日照り続きで、渇水さわぎ」
思い起こすだけでも、気が重くなってしまうのは、私だけであろうか?
水力発電・工業用水・原料の溶解/洗浄と、水の重要さは
限りないものが、存在するように思えるのである。
このように有用不可欠の水も、「台風・洪水」ともなれば
田園を水没させ、都会を破壊して恐るべき惨禍をもたらすのである。
これは、近年特に「地球温暖化」で過去に無かった甚大な被害と
惨禍に、見舞われてしまうのである。
全ての命の源である「水」は、天地からの「授かり」もの
雨が降れば降ったで、降らなければ降らぬで人間の思い通りにはゆかぬ。
地下水とて、工業用水など「無計画に利用」していれば
やがては「枯渇」してしまう。
災害は「忘れた頃にやって来る」の、古来からの言い伝えどおり
水に限らずであるが「授かり物の資源」は、ほんとに「心して」
かねてから、有り難く大切に利用させて、頂かなければならないと
肝に銘じるのである。
故郷の山に
うさぎ追いしかの山、こぶな釣りしかの川・・・何方もが記憶する「懐かしい唱歌」の一節
故郷は遠くに在りて、思うもの・・・・・著名な詩歌すら出る、止めどないものでもある。
私に限らず「故郷の山」は、みな「親しい友」と言えるのではないだろうか。
最近は少なくなったが、登山が好きで「山登り」をする。
ただ一人で、孤独な山歩きをするのもよいのである。
山はいつでも、快く僕を迎えてくれる。
人生に屈託した時、都会のけんせいに疲れた時山の懐に飛び込むのだ。
森林の緑、渓谷の清冽、岩肌の豪快を目にすれば
人生の憂さは一瞬にして消える。苦痛に耐えて登頂したときの気持ちは
また、何とも言えないものがあるからだ。
苦しい思いをして「登山」なんかするのか・・・聞かれる。
頂上を「きわめた者のみが知る」征服感のようなものかも知れない。
しかし山は、正確には「僕の師」と言うべきかもしれない。
それは、山つまり「自然界そのもの」に他ならないからである。
こちらの都合に「迎合」してはくれない。着衣や装備品は申すまでも無く
健康(体調)管理、複数人の登山では「リーダー」のメンバー詳細把握
自然気象変化と行動把握、計画変更とその見直しなど等
こういう「経験」を、繰り返して「山の心」を知らされると自負するのである。
山の持つ「いのちの音」にふれ、そして己の命の鼓動を
改めて、知らされるところに「満足と感謝」を抱かせていただくのである。
海辺にたたずむ時
四方を海に囲まれた日本は入り江あり島あり、国民は昔から海に親しみ
海を活動舞台として来たと言って過言ではないと思う。
狭い国土に多くの人口を閉じ込める事自体が無理であり
日本人が海に向かって発展してきた事は、自然の成り行きと言ったら
言い過ぎであろうか?
古来から国民は、軍船に乗ってしばしば大陸へ押し寄せた。
太平洋戦争時代には、世界最強を誇る日本海軍は太平洋・インド洋を制圧し
世界をふるいあがらせた。敗戦によって、旧海軍は消滅したが「海国日本」の
伝統は、失われなかった。
日本漁船は太平洋はもちろん、インド洋・アフリカ沖・ブラジル近海と世界の海に
活躍し、水産日本の意気を示すのみならず、日本造船業までが世界一級の席を
確保するに至っていた事は、衆知の通りである。
実に日本は「海の恩恵に恵まれている」と、思うのである。
四方を取り巻く海は、古来外的を食い止める強力な障害として
長い間、日本の平和と独立の守りとなった。
戦後日本産業の著しい発展は、これとて海の恩恵を考えなくては
説明が出来ないと言ったら「言い過ぎ」であろうか?
我が国は海岸線が長く、至る所に良い港が有り巨大なタンカーや
貨物船の接岸が自由で、これが日本の貿易立国を支える一つの大きな
柱になっていると思う次第である。資源のほとんど無い我が国は
製鉄工業はじめ、造船業・原材料製品加工主要工場等の多くが
臨海工業地帯を形成して「輸入・輸出」の便を図り、国際競争力の
有利な条件として来た様に思えるのである。
春の海はのたりのたりと、白砂青松の海辺は波静かに、海は沈黙して
何も語らないが、海こそは日本の平和の守り神、そして発展の良きパートナー
として、その長きを「君臨して来た」のだと信じて疑わないのである。